2011年1月22日土曜日

大塩平八郎終焉の地


政治腐敗による民衆の饑餓を救うため、1837年大塩は門人、農民たちと蜂起した大塩平八郎の乱は大阪市民に語り継がれています。乱の後、平八郎、格之助父子は、現・西区靱本町の靫油掛町の美吉家五郎兵衛宅に潜伏しましたが、同年3月27日幕府方に包囲され、父子は自害。その碑が天理教飾大分教会にあります。なお、墓は北区成正寺にあります。

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