2008年8月29日金曜日

下駄履きの効用


色々な健康法が溢れていますが、意識してい
る一つが「歩く」ことです。1日1万歩が体
に良いと言っても毎日できるものではありま
せん。そこで、普段の生活の中で「これはい
い」と考え抜いて実践しているのが靴に代え
ての下駄履きです。履き替えて感じたのは外
反母趾が矯正しつつあること、通気性が良く
水虫にならなくなったこと、そして底の減り
具合で姿勢のチェックができるようになった
ことです。健康の基本は足から。先人の生活
習慣を見直しています。

2008年8月28日木曜日

生花で気分一新


夜は虫の鳴き声も聞こえ、季節はすでに秋。
気分を変えようと、殺風景な部屋に花を飾り
ました。それまでは、造花を花瓶に挿してい
ましたが、やはり命あるものは気を晴れやか
にしてくれます。明るいイメージで選んだの
は、トルコキキョウ、ガーベラ、クルクマシ
ャローム。お店で花言葉を調べると、順に希
望、神秘、クルクマシャロームは可哀そうに
ありません。音楽を聴かせると花も喜ぶと聞
いて、モーツァルトの交響曲をかけています。



2008年8月26日火曜日

美味しいカレー作りの一工夫


簡単なメニューであって奥の深いのがカレー。
市販のルーでも材料次第で味の七変化が楽し
める毎日でも飽きない料理の一つです。私の
友達にカレー作りの名人がいます。今日頂い
たのはイカをふんだんに、にんにく、人参、
玉ねぎを使ったシーフードカレー。調理のコ
ツは6時間の煮込みと、イカのエキスをさら
に引き出すため、煮込んだイカを軽く炒めて
からルーと合わせること。シンプルな料理だ
けに、細かな隠し技が光る逸品です。

2008年8月25日月曜日

安くておいしいが大阪グルメの原点



アメリカ村は若者のまちだけに、暫く行かな
いと大きく変わってしまいます。以前お世話
になったお客様のところに昼食を取ろうと訪
ねたら、麺類のお店になっていました。入っ
てしまうと馴染みだっただけに後に引けません。
やむなく注文した冷麺をいただいくと、値段の
割に心のこもった料理にほっぺが落ちました。
チャーシューとたれは自家製、麺は別注で顔を
見てから料理する、隠れたグルメスポットに変
身していました。味で勝負する大阪の土性骨を
見る思いがしました。




2008年8月24日日曜日

熊野街道に思いを馳せて




近代文明全盛の今も、現世と極楽の安堵を求
める気持ちは変わらないようです。四国八十
八か所巡りはその一つとして今も参詣が絶え
ません。かつて、大阪は天満の八軒家浜から
南紀、東紀州の熊野三山に至る熊野詣でに幸
せを祈願する行脚の道がありました。現在、
このルートを辿る人は少ないようですが、大
切なのは、真剣な思いで理想郷に歩いていく
ことだと思います。健康ウォーキング道とし
て人気の熊野街道、願いを込めて歩いてみた
いものです。


2008年8月23日土曜日

クリスタ長堀の「ギャラリー浪花百景」




にわか雨に遭いクリスタ長堀で雨宿りした
ところ、普段気付かなかった「ギャラリー浪
花百景」があるのを知りました。西端の2階
にあって、大阪市立博物館所蔵の浪花百景を
陶板画したものが展示されています。八軒屋
夕景、堂島こめ市、野田藤、住吉反橋など江
戸期の大阪を描いた風景に、当時の大阪は、
美しく活気があった様子が伺い知れます。ギ
ャラリーのそばには、長堀川が流れていた時
の石を壁面に埋め込んだ長堀石濱もあり、長
堀の今昔を知る意外な場所といえます。

味覚の宝庫 岡山




















夏が去っていくのは寂しいですが、秋は、味覚
の喜びを感じる季節です。今日、皆さんより一足
早く、岡山の“うまいもん”をマスコミに披露
する「おかやまの夕べ」がありました。マスカッ
トを始め、隣からご飯を借りてまで食べたい「ま
まかり」や、千屋牛のステーキ、地酒のもてなし
にあずかりました。写真は、もっとも人気のあっ
た岡山名物「祭り寿司」です。デパートでも求め
られますが、現地でこそ味わっていただきたい絶
品です。大阪から近く、うまいもんがいっぱいの
岡山に注目してほしいと思います。

2008年8月21日木曜日

 織田作之助と法善寺横丁

 「夫婦善哉」で知られる大阪出身の作家、織田作之助の文学碑が法善寺横丁にあります。『行き暮れてここが思案の善哉かな』の句が刻まれています。碑建立の発起人は、作之助と親交のあった作家の藤沢桓夫ら。17回忌に何か形を残そうと相談し、痩せて背の高かった作之助を彷彿させる、ひょろりとした石にしたそうです。碑は作之助が好んだ関東煮の正弁(しょうべん)丹吾亭(たんごてい)前にあり、夫婦善哉の店もすぐそば。作之助の足音が聞こえてくる気がします。

2008年8月20日水曜日

西道頓堀の出世地蔵

1625年天下に名だたる道頓堀が誕生しました。
そして1653年に義太夫、歌舞伎、見せ物小屋
のほか、道頓堀五座が建ち、大繁華街となりま
した。当然、商人たちは儲かるようにと願をか
けるために建てられたのがこの出世地蔵です。
夜の帳(とばり)が下りる頃は付近の商人たち
がお参りし、商都大阪の一面を垣間見る思いで
す。昭和20年の空襲で、この地蔵は行方が分か
らなくなりましたが数年後発見され、再び脚光
を浴びて、今なお、西道頓堀の商いの神様とし
て崇められています。

2008年8月19日火曜日

大道芸は商いの原点

アメリカ村名物の甲賀流たこやきの匂いが充
満する三角公園で、思いがけず、大道芸を見
ました。アフリカからきたという自称バスケ
ットボールマンのボールさばきに、普段は近
寄りがたい公園が笑いと拍手に包まれました。
バスケットボール2つを重ねて回したり、地
面に並べた10数個のボールの上を助走をつけ
て腹ばいで滑り渡ったりする姿に、おひねり
が投げられ、笑顔で感謝する彼の顔は美しか
った。大道芸は、一期一会を大切にする商い
の原点だと思います。

2008年8月18日月曜日

なにわ伝統野菜をかたどった碑

なにわ伝統野菜が見直されています。現在
8種が認定され、そのひとつ玉造黒門越瓜
(たまつくりくろもんしろうり)は料理の
レパートリーが広く、フルーツポンチやゼ
リーなど若い方にも料理の工夫がされてい
る野菜です。発祥は玉造稲荷神社付近。高
津屋吉右衛門の栽培するものは、当時のお
蔭参りのお土産に評判だったそうです。秀
吉から営業許可を与えられた市場が黒門市
場とよばれていたので、この名がついてい
ます。

2008年8月12日火曜日

上方漫才の父 秋田實

上方漫才の父といわれる秋田實の笑魂碑が玉
造稲荷神社にあります。秋田は、しゃべくり
漫才で有名な横山エンタツに出会って漫才作
家を志し、1934年に吉本興業に入社。大阪を
代表する漫才師、夢路いとし・喜味こいし、
ミヤコ蝶々、横山やすしらを育てたほか、若
手漫才師や漫才作家らと「笑の会」という勉
強会を組織し、オール阪神・巨人、宮川大助・
花子、ザ・ぼんち等を輩出したことでも知ら
れています。笑いを大切に人を育てた秋田の
「怒ってよくなるものは猫の背中の曲線だけ」
という言葉が印象に残っています。

2008年8月8日金曜日

遊女を助けたお地蔵さん

南船場一丁目に油掛地蔵尊があります。
古事記にも記載されている1300年前くらい
の地蔵尊で、疾病や火防にご利益があるとい
われています。他の地蔵さんと変わっている
のは拝むときに油をかけていたことです。
油掛けの由縁は、地蔵を信仰していた遊女が
抱え主から油をかけられる折檻を受けた時、
この地蔵に身代りになってもらおうと油を掛
けて助けを求めたという言い伝えからだそう
です。もっとも、今は油をかけずにお祈りを
します。

2008年8月7日木曜日

道路の真ん中に立つ社

谷町七丁目交差点南の車道の真ん中に、「谷町のクスノキさん」「楠玉社」と親しまれている木立が建っています。ここを自転車で走ると、すれすれに車が通るので怖いのですが、神木なので撤去するわけにはいかないようです。以前、この場所には「クスノキ寺」と言われた本照寺があって、道路拡張時に寺を移転しましたが、クスノキは繁栄をもたらす蛇がいるので、これを伐るとタタリがあると恐れられ、今にその名残をとどめているそうです。

2008年8月6日水曜日

平和の実現は核を捨てる勇気

今から63年前の今日、8時15分広島に原
子爆弾が落とされました。ドーンセンター
で被爆体験者の作家早坂暁氏と大阪の田辺
に落とされた模擬原子爆弾を知る語り部さ
んから戦争と平和について勉強しました。
今、一見平和に見える社会ですが、核の脅
威があるから表面上の平和だとの体験者の
言葉に恐怖を覚えました。国家の利権が戦
争を起こす、これを避けるには、史実を伝
え、将来核を捨てる勇気を持つ子供を育て
るのが大事という教訓を学びました。

2008年8月5日火曜日

直木三十五記念館

谷町六丁目の空堀商店街の南に直木三十五記
念館があります。直木三十五はあまり知られ
てませんが、大阪出身の作家です。「南国太平
記」で有名になり、直木賞は友人の菊池寛が
彼を偲んで創設した文学賞です。三十五が通
った小学校(今は桃園公園)となりの萌とい
う複合文化施設2階に、三十五の足跡、作品
を畳の部屋で接することができます。出版社
の経営や映画制作を手掛けるもうまくいかな
かった波瀾万丈の生きざまに人間的な魅力を
感じさせる作家です。

2008年8月2日土曜日

大坂の文明開化の発祥地

西区川口の本田小学校隣に川口居留地跡があ
ります。川口は安治川と木津川が合流する重
要地で、明治政府はここに大坂港を開港しま
した。同時に、英・米・独・仏・蘭・ベルギ
ーなどの外国人居留地を造成しました。その
名残がこの碑です。当時、この地域は街路樹、
ガス灯、西洋建築が立ち並び大阪の文明開化
はここから広まったそうです。しかし、外国
人商人の勝手を取り締まったり、居留地制度
の廃止などにより、大阪港の機能は天保山に
移ったのです。

2008年8月1日金曜日

冒険心いっぱいの地下トンネル

エレベータに自転車?あまり見ないでしょう。ここは、西区と此花区を結ぶ安治川隧道(ずいどう)です。1684年に源平渡しとして船で往来していましたが、今は昭和19年につくられたトンネルで人と自転車を通しています。エレベータで地下14mのトンネルに降り、2分も歩けば、違う風景に出会える現実離れした空間です。初めて通る方はちょっとした冒険心を抱くこと間違いなし。個人的には、便利な阪神電車西大阪線が開通しても残して欲しいと願っています。